書評~テクノロジー思考: 技術の価値を理解するための「現代の教養」

テクノロジー思考

これからの10年を生きていく上でとても示唆に富む本でした。

本の中から特に印象に残ったフレーズを抜粋しつつ、そこから考えたことをまとめてみます。

イノベーションに取り組む者は失敗を量産すべきである、という命題である。失敗のコストが極小化しているということは、それを回避することによって生じる機会損失のほうが相対的に大きくなったということと同義だからである。



これって言うは易く行うは難しなんですよね。

失敗したという瞬間、誰しも冷や汗をかいたり、軽いパニック状態に陥ったりしますよね。

そしてその経験は、しっかりと脳に刻み込まれ、その後の状況判断時に自然とフィードバックされてきます。

これこそ人間の脳が自ら生き延びていくための危機回避の仕組みですから。

大事なのはその後の理性的な判断力なのでしょう。

前の失敗経験から感じるままに縮こまってどんどん保守的になるか、自らそれをポジティブループに切り替えて行動に活かすことができるか。

自らと対話し、乗り越えていく力が大事ということですな。

つまり、個人データとは誰のものかという問いを突き詰めると、誰のものでもないというのが正しい答えとなる。



これはハッとする答えでした。

自分の行動の履歴は自分自身のみが基本知っているから、自らの所有物かのように捉えがちですが、ちょっと考えればそうとは言い切れないことがわかってきます。

そもそもデータって、モノではないですよね。

かといって著作物のような創作性もなく、ファクトでしかない。

人間という存在は自分という個だけでは成立しえない社会的文脈にあるのだから、自分の行動履歴は社会という枠組みと切り離して捉えることは不可能です。

ということは、個人データというプライバシー(人権)とそれを受け取るコミュニティ上での便益のバランスにどう折り合いをつけるかということになりますね。

多くの問題は個人の認識とデータを受け取る企業など一定コミュニティの認識の乖離が生み出していることによります。

個人はプライバシーポリシーが書いてあって承諾していることになっているのに、後から勝手に個人データを意図せず利用されたと文句を言う。

一方企業はプライバシーポリシー上でうたっている個人データの扱いを自分たちの都合のいいように拡大解釈したり、わかりやすくプライバシーポリシーを提示していなかったりする。

結局人間同士の認識合わせをどううまくやるかという、普遍的なイシューの枠組みの問題といえるのではないでしょうか。

何らかのテクノロジーが現れたとき、その具体と抽象に注目するということは、そのテクノロジーの発展段階や人間社会に対するインパクトを洞察するために決定的に重要ということである。



テクノロジーに限らず、具体と抽象を行き来しながら思考する力は人間ならではの知性の大きな要素ですね。

細谷功さんの「地頭力を鍛える」や、前田祐二さんの「メモの魔力」などでも紹介されている思考法です。

一見、「具体」の方がイメージがつかみやすくてわかりやすいので価値が高いように思うかもしれません。

しかし「具体」だけで思考し、話しているだけでは過去から現在で起こっていることの本質、メカニズムが見えてこないので、応用が利かないんですよね。

メカニズムとして抽象化し、それを別の方向へともう一度具体化することで初めて未来の行動に活かせる知恵に昇華できるわけです。

人間が使っている言葉自体が何段階も抽象と具体から成立してますよね。

テクノロジーとはこのようにして、問題や課題との組み合わせ、ニーズや顧客用途との組み合わせによって初めて大きな価値を持つのである。





世の中のヒット商品・作品は具体と抽象を行き来しつつ、ニーズを組み合わせることで成立していますよね。

日本映画の中で世界興行収入第1位となった映画「君の名は。」も男女入れ替わりという映画「転校生](1982年)から続くコンテンツ作品の定番要素を作品冒頭に取り入れて、多感な高校生の口コミを喚起させていました。



この組み合わせも、先ほどの個人データの扱い同様、バランスが大事だと思います。

あまりに近い領域の要素をあからさまに取り込むと「パクリ」として断罪されてしまいますから。

未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ



90年代初頭までの右肩上がりの成長曲線上にあった日本の多くの企業って、未来は過去の延長で係数を乗算すればある程度予測できると思っているところが多いのですよね。

それでみんなが納得できる予測値・目標値づくりに延々と時間をかけてしまうという。。

この思考法ってほんと時間の無駄だと思うのです。

扱う事業や商品にもよりますが、これだけテクノロジーや地政学的変動がダイナミックに起こり、人口減少社会に突入した日本で過去の延長で未来を予測しようとすることってナンセンスに近いと思うわけです。


どれだけ自分たちの認知バイアスに気づけるか。

その上で、いかに思考し行動できるかが問われているのだと思います。


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