【感想と考察】週末のワルキューレ3巻~なぜこのシンプルな戦闘物語に熱くなるのか?

終末のワルキューレ3

1巻からの感想はこちらから。

選ばれし人間と神々の代表が、ぞれぞれの陣営が見守る劇場空間で一対一の決闘をひたする繰り広げていくという、とてもシンプルな漫画です。

重厚なミステリー作品のような、複雑なストーリー構造や登場人物関係などほとんどありません。 

ですので理解するために読み返したり、情報の意味を調べることもなく、脳内負荷はめちゃくちゃ軽い作品です。 

こう書くとつまらないありがちなバトル漫画のように聞こえてしまいますが、本作品はそうではありません。 

読み進めていくと心拍数が自然と上がり、夢中にページをめくっている自分がここにいます。

なぜでしょう? 

自分の中では以下の3つの観点があるように思いました。 

  • 人生の縮図のようなバトルの展開構造 
  • 妥協せず、死に至るまで戦い続ける姿の背後にあるロマン 
  • 神と人間:実は自分と戦い続ける物語 

順番に解説していきましょう。


人生の縮図のようなバトルの展開構造



特に2~3巻での人間代表、アダムと神の代表、ゼウスとの闘いは、これ自体が一つのストーリー構造、つまり人生の縮図になっています。

異変の発生
スリムな身体のアダムに対して、高齢ながら筋骨隆々とした巨大な身体をもつ神々の王であるゼウスの戦い。

一見ゼウスの方が圧倒的パワーがありそうですが、最初の結果は逆。

アダムはゼウスの攻撃をフットワークよくかわし、逆に一撃でゼウスを地表にノックアウトしてしまいます。

アダムには神虚視(かみうつし)の能力があり、なんと相手の技を瞬時にコピーして自分に取り込むことができたのです。

大きな転換
ところがこれでやられるほどゼウスも柔ではありません。

なんとドラゴンボールやシン・ゴジラのように身体形状を変化させ、極限まで筋肉を圧縮させた身体の最終形態、阿陀磨須(アダマス)へと進化するのです!

再度殴り合いを始める二人。

当初は初回のようにアダムが神虚視を使って互角な殴り合いが続きますが、過負荷状態になっていき、「些細なきっかけ」を契機として形成が逆転していきます。

この後最終局面での危機から帰還に至る流れは読むまでのお楽しみですが、シンプルな1回のバトルが緩急つけた一つのストーリー構造で描かれているため、情動を揺さぶられてしまいます。

妥協せず、死に至るまで戦い続ける姿の背後にあるロマン



戦いの途中、アダムが神々の楽園を抜け出したバックストーリーも描かれています。

禁断の果実を食べたことで、楽園を追放されたアダムとイヴの話(旧約聖書)は有名ですが、本作品ではイヴをそそのかせたとされるヘビも登場させ、この作品に合うような別の解釈で描かれています。

こうきたか!という、なかなか刺激的な展開となっていますので、こちも読んでみてのお楽しみです。

神と人間:実は自分と戦い続ける物語



あたかも神と人間が別々の存在かのように描かれていますが、冷静に考えると、神々も人間の想像力から生まれた産物ともいえます。(ここは正解のない様々な立場が存在します)

となると、神対人間の命をかけた壮絶な闘いとは、自分との闘いに変容するわけです。

自分が生み出した多様な魔物との果てしない闘い。

時には敗北することもあるでしょうが、諦めず何度も何度も闘いはめぐってくるのです。

そうやってメタ的に捉えて想像力を働かせると、別の楽しみ方が生まれてくるのが本作品です。


自分の中にも多くの力が眠っているはずです。

自分で足りない力は、仲間の力を使って連携すればいいですね。

敵は強大ですが、ひるむことなく多様な戦略・戦術を使って最後まで諦めずに突き進みましょう。



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