映画「累」の感想~その意味、メッセージを探る

原作は途中まで読んだことがあったので、あのエグい心理劇をどう演じてくれるのか、期待大で観てきました。

もともとちゃんと描ければアニメより実写が合うだろうなと思っていました。

累

上映開始直後、演技が下手なのに美しい顔にうぬぼれ、高飛車な態度で連れてこられた醜い累を罵倒するニナ(土屋太鳳)の姿にもっていかれます。

土屋太鳳の普段の清純、さわやかなイメージとのギャップもあり、かなりのインパクトがあります。

中盤でも、舞台演出家の零太(横山裕)と夜に会う約束を取り付けた累に対して、ハイヒールで踏みつけ罵倒するシーンがあります。

あの土屋太鳳が感情むき出しでこれをやるわけですよ!

その後帰宅後も、零太に抱かれたと嘘をついて、ざまあみろと更に累をどん底の気持ちに落とし込めるのです。

いやー、怖いです、、。

ラストのサロメの舞台で妖艶なダンスを披露して拍手喝采を浴び、恍惚の表情を浮かべる累を演じる土屋太鳳の姿も圧巻でした。


さて、この映画のストーリーから僕らは何を読み取るべきでしょうか。

映画の幕が閉じる直前、ニナの美しい顔を手に入れて舞台で恍惚の表情を浮かべ、拍手喝采を浴びた累。

この場面をみると、外見という現実に対する偽物の勝利に見えます。

しかし、ことはそう単純ではないですね。

二人は罵倒し合いながらも、明らかに共依存関係にありました。

あれだけ屈辱的な仕打ちに合いながら、累は意識を失って長期間寝込んでしまったニナを献身的にサポートしたり、屋上から落下して大怪我を負ったニナを救おうと、気にかけています。

それは自分が入れ替わる美しい顔がなくなると困るという自己中心的な欲望とは別のところにあるように思いました。


この映画から感じるのは人間という存在の弱さです。

ニナが累を罵るのも、自分の演技力のなさという自信のなさの裏返しです。

累の執念も、ニナの顔かなければ自分の顔の傷という弱点を克服できない弱さの裏返しです。

羽生田がニナと累を会わせたのも、自分の淵に対する想いを断ち切れないが故の弱さを元にした企みです。

自分は何もせず、過去を断ち切れずにいる羽生田が実は一番女々しく弱い存在にも思えます。

相手を助けたり励ましりしたかと思えば、罵ったり、利用したり、自分一人で完結できない存在。

そう、この映画はわれわれ人間そのもの弱さを描いていたわけです。

そんな登場人物の弱さに観客も自分のことのように共感してしまうからこそ、「やばい!太鳳ちゃんよかったよ!」と他の人に薦めたくなるのでしょう。


原作では、実は累の顔の傷の設定が異なります。

映画から入った方は、マンガもぜひ読んでみてください。



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